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    高遠城址公園

    戦国時代、武田信玄により築城、江戸時代には内藤氏の居城となった高遠城。
    明治に城は取り壊されましたが、高遠藩の旧藩士達が「桜の馬場」から移植したコヒガンザクラは、今では樹齢100年を超える老木も含め1.500本あまり。
    高遠固有の小ぶりで赤みを帯びた可燐な花「タカトオコヒガンザクラ」は、「天下第一の桜」とも称されています。

    歴史1

    ※約675年前(1340)、諏訪氏一門の惣領初代高遠信員(高遠氏始祖)が居城。

    一時は武田と密約、諏訪氏滅亡後諏訪も宮川から西を領有。

    諏訪氏滅亡のあと、諏訪の領有を巡り武田と高遠は対立、高遠氏は滅亡。

    (安曇郡を領する仁科氏は武田信玄に討たれ五男である盛信に仁科氏の名跡を継がせ、森城の他、高遠城の城主を兼任する。)

    天正10年、武田勝頼の弟仁科五郎信盛が、織田軍と戦い壮烈な戦死。
    (武田氏最後の戦い)

    歴史2

    ※江戸時代、諏訪氏一族で高遠氏の旧臣藤沢郷の保科氏が下総多古(千葉)へ移封 → 戻る・・・第3代将軍徳川家光の異母弟保科正之が山形→会津若松へ。
    ・・・(略)・・・
    そして、内藤藩主が摂津(大阪)富田林藩3万3千石より移封。
    内藤新宿は、高遠藩主内藤家の下屋敷のあったエリア。新宿御苑は、内藤家の江戸屋敷。

    ◆絵島生島事件は、(第七代将軍家継の頃)の出来事。 →  絵島囲み屋敷(写真)

    産地

    ◆紅花
     紅花は、武田に攻められ敗れた千葉の長南一族が山形に逃れ紅花を伝え、下総多古へ移封後多古より戻る保科氏によって高遠に、さらに山形から会津に伝えられたのではないかと…。

    ◆高遠そば
      会津松平家初代藩主「保科正之」が、信州高遠から転封し広めたと言われています。

    ◆内藤とうがらし
     江戸時代の宿場町、内藤新宿で育てられた野菜のひとつ。薬研堀にも使われ、江戸の食文化を支えた。